道具における感覚の拡張

 

 

f:id:sad-vacation:20200103232222j:plain

 

道具を体の延長のように感じるようなことがある。

 

自動車を運転してるともう走ってる途中で

神経のあのボソボソの糸のようなものが伸びて

繋がる感覚がバッチリわかる。

 

キーボードのブラインドタッチとかもそうだよね。

 

あとギターとかベースとか運んでる時にどっかにぶつけちゃって

「痛い!あ!痛くねぇか!へへっ!」って言ったりするよね?

 

ほかに具体的なものでいうとなんだろう。

飲食店が使うハンディだったり、コンビニのレジスターだったり、

料理人の包丁、大工のドリル、絵描きの筆、うーんまだまだありそう。

 

同じ道具を使い続けることで生じる感覚の移動、拡張。

このことをなんと呼ぶのか

気になって調べたんだけどハッキリした答えがなかった。

 

 

http://conference.vrsj.org/ac2019/program/common/doc/pdf/5B-01.pdf

 

それを「拡大的身体所有感」と名付けた上で

進んでいく論文は見つかったんだけど、

正式な名称ではないようだ。

いやでもこれ俺の調べ方が悪いだけで

絶対正式名称あるでしょ。って気がしてる。

どなたか答え知ってる方の連絡を待っています。

 

有識者からの連絡が来るまではこのことを

「ツール感覚拡張」と呼ぶことにします。

主に新宿区内で。

 

そのさっき言った論文もおもしろくて

その「拡大的身体所有感」を高めるのに

(新宿区におけるツール感覚拡張)

遅延があった方がその効果を高めることができる

という研究だった。

まあこれは主に電気で動く機械における話だけと思うけど。

車のハンドルも若干遊びがあるのもそういう理由なのかな。

 

この「ツール感覚拡張」の効果を高めるために必要な要素については

どこかの研究機関がやるとして、

 

そういう道具と自分の肉体の感覚が

「いまひとつになりました」というタイミングに生じる

エクスタシーはなんとも表現し難い。

ゾーンに入ってるというか、

「あ、いま止まらないぜおれ」みたいな。

一番そのエクスタシーが強そうだなと思うのは

歯科医のさばくあのドリルですよ。

あんな繊細な鋭利なものできったない虫歯をゴリゴリいったら

ま〜おもしろいんだろうな。

 

エクスタシーとかいやらしいかんじで言っちゃったけど、

でもこの「ツール感覚拡張」を高める、高められる道具を作っていくことこそが

私たち人類が道具に使われない、道具を使う。いや、ひとつになる。

技術と正しい向き合い方をする。そこに努力する。

こういった認識が、加速するテクノロジーに飲み込まれないために

この2020年、必要なんじゃないだろうか。

先日久しぶりに1人でドライブしてたら

そんな考えが駆け巡っていたのだった。飛騨市の山奥にて。

謹賀新年。 

 

 

note.com