勝手におもしろくなった本

 

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巖谷國士さんの書いた「シュルレアリスムとは何か」

って本をこの前おススメされて読んだんだけど、まーこれが面白い。

 

読み終える頃には、「シュルレアル」「メルヘン」「ユートピア

このへんのワードの繊細さを理解して、楽しくなってくる。

内容はまたいつかじっくり触れたいんだけど、

今回はそもそも

「あれ?久々に読んだけど【本】って面白くね?」と感じた理由を考えた。

 

その本は朝の時間に読むことにした。

日常的に本を読みたかった。というか習慣付けたくて、

でも通勤は歩きだし、出先で空き時間があるから喫茶店で、みたいな生活リズムもないし

どうしたもんか。

朝読むことにした。毎朝起きたらスマホゲームにログインしてログインボーナス貰って

オンライン対戦を何回かやる。といま思えばクソどうでもいい習慣をここ数年やっていた。

この時間、別にいらないな。本読もう。なので朝起きたらコーヒー飲みながら本を読んでいる。

 

 

 

朝は頭が冴えてるから読書にはいいらしい。その冴え切った頭で本を読み終えて至った結論が

「本っておもしれぇな」である。

 

なんでって、広告がないんだよね。それによって集中して読める感覚がある。

まあ内容がおもしろかったからってのももちろんあるんだけど。

 

いま、どんな情報もほとんどスマホから仕入れるでしょ。

ニュースも、誰かの発信する身になる話も、誰かのおもしろいコラムも。

でもそれって広告がそこかしこにちらつくから、本と比べてどこか雑然とするというか

注意が散漫になる。とっちらかった景色の中で見ている。

ネット上における広告だけに関した話じゃなくて、

スマホでなにかを読んでると「通知」ってあるでしょ。

LINEの通知もくるし、リマインダーも作動するし、リプライとかいいねとか。

 

さらにいえば一番上には時計がある。バッテリーのパーセンテージが見える。

ネットの接続状況も常にわかる。

 

まじやばい。情報過多。

もちろんそういう諸々の機能がオールインワンだからスマホ

便利なのであって、それを悪だなんだというつもりはない。

けれどそういう情報過多のデバイズが生活の、肉体の一部となっているからこそ

本の中はすごい。活字しかない。

 

「活字しかない本がすごい」って変な話だよね。実際は全然すごくない。別に普通ですよ。

でも「すごい」と、「おもしろい」と感じたのは、

普段欠かせないスマホの・インターネットの情報量の多さが逆に、本の価値を押し上げた。

これなんともおもしろい動きじゃないですか?

 

本とスマホって、用途に近似したものはあっても相反する存在同士なのに

スマホが逆に本の今まで存在しなかった価値を見出してる。

そう、存在しなかったというのがポイントだと思う。

 

スマホがない時代、インターネットがない時代に

活字の本に「余計な情報がちらついてこなくておもしろいな」って感じないでしょ。

 

 

ここからは人から聞いた話だからすごいぼんやりしてるんだけど、

これから先の未来、たいていのサービスは無料で受けれるようになって

お金がない人でも、それなりの生活を享受できるようになる。

そのかわり、それらのサービスには全て広告が乗っかってくる。

じゃあお金持ちはどうするかというと広告の一切ない生活をする。

 

という、これSF小説の話だったかWEBマーケティングの話だったか忘れたけど、

まあこれ既に今起こっている現象で

YouTubeとか本当にその通りになっている。なにを見るにも5〜15秒のCMを何回か見なくちゃいけない。

そして「プレミアム会員になれば広告がなくなりますよ」と提案をしてくる。

アプリもそうだ。有料版のなにが違うって、機能制限の解放と、広告の削除だ。

 

お金を払って情報を減らす時代。すごい流れである。

無料にこだわり過ぎた結果なんだろうな。

 

 

 

そんな時代だからこそ、

その内容以外の情報が入ってくることのない紙の本は今、

勝手におもしろくなっているのである。当たり前のことなのに。