「ない」の反復が多くて眩暈がする
「ないことはない」とか「そうじゃないとは言い切れない」とか
「そうせざるをえない」とか「禁じえない」とか
否定語「ない」を反復する文章を文字で読むと眩暈がするようになった。
今ちょっと翻訳本読んでるからだろうか。
回りくどい文面が多すぎて疲れている。
読んでて思う。「結果あるの?ないの?」
なんでマイナスの掛け算させるの?
極め付けがこれである。
「ないことはないんじゃないだろうか」
ウォイウォイウォイ
「ない」が3つもある上に最後の「ない」は
違う意味合いの「ない」じゃないか。じゃん。
小3だったら卒倒するぞ。
「ないことはないんじゃないだろうか」は
≒「あるんじゃない?」である。
あるんじゃない?の「い」が最後上がるから
話している時は分かる。でも文章ではイントネーションが
伝わらないから分かりづらい。
普通に文章をゆっくり読めばわかるんだけど
そこの反復横跳びを端折ってさっさと前に進みたい。
文章において人を停滞させる箇所じゃない。
だから色々と意味を含む「ない」という言葉は
文章において限りなく削ぎ落とした方がいいとは言えないだろうか。
いい。
「ないことはない」
は「あるにはある」「あるのでは」
「そうじゃないとは言い切れない」
は「一理ある」「可能性はある」「ありっちゃあり」
「ないことはないんじゃないだろうか」
これなんか簡単。
「あんじゃん?」
この置き換えは正しいとは限らない。
≒であって=ではないのは分かる。
でも、そもそも曖昧さを孕んだこの文を
他人の誰が100%理解したいと思うんだ?
わかりやすいのが一番いいに決まってる。
しかしながら翻訳家は確かに原作者の意図を汲まないといけないから
四捨五入して、端折って、というわけにもいかんのだろう。
世知ギャラクシー⤴️⭐️
世知辛さを星の彼方まで飛ばしたい想いから成る
ギャラクティカネオ日本語。万感の想いで汽車は行く。
「伝わる日本語」と「正しい日本語」の揺らぎである。
「実質」と「形式」
罪と罰…ジキルとハイド…グリとグラ…
あ、ごめん言ってみただけ。意味なし。