今日死んでもいいとしたら/memento moriについて

 

いつもの如くカジュアルに書くけれども

今回はとっても大事な話なのでちゃんと読んでほしい。

memento moriを知ってる人は読まなくていい。

 

 

memento moriという言葉を知っているだろうか。

意味は知らずとも、その言葉だけは知る機会はあったかもしれない。

 

モンストの敵キャラかなにかにそういうのがいるらしい。

あとはOMSBの楽曲にそういうタイトルの曲がある。

攻殻機動隊stand alone complexの中に出てくる

タチコマというロボットが「メメントモリ〜」と

叫ぶシーンもあったりする。

 

まあ20年そこら生きてる人はどっかしらで

出会ったことがあるかもしれない。

 

memento moriとは、ラテン語由来の警句です。

警句とは、真理を鋭く突いた簡潔な言葉のことです。

意味としては「死を忘るるなかれ」というものです。

 

死を忘るるなかれ

 

そう言われてあなたはどう感じただろう。

「お前はいつか死ぬんだからな?」

「いつでも死がお前の隣にある」

「明日はわが身」

というような脅し文句を想起させているのではないか。

私は最初そう感じます。

 

この言葉は芸術作品のモチーフとしても

よくよく使われていて、それらの作品には概ね

骸骨が描かれたものが多い。

 

mementmori-art.com

 

感じ方に差異があるかもしれないけれど、 

作品をよく見てみると

「残虐・恐怖・畏怖」というイメージを与えるよりは

骸骨=死というものを身近に感じさせるような

少しポップさを孕んだような印象がある。

 

このポップさが肝なのである。

本当のところ、memento moriは少しニュアンスが違う。

 

本当のところの趣旨は

「いつも死はお前の傍にある。だからこそ、今を楽しめ」

という意味なのだそうだ。

 

memento moriに通ずる言葉で

carpe diemというものがある。

(カルペ・ディエム…ラテン語読みだね)

 

「その日を摘め」という意味。

この言葉をmemento mori(死を忘るるなかれ)とセットで

知っているかどうかで、感じ方がだいぶ変わるでしょ?

 

その日を摘め、つまるところ「今日を楽しめ」という

ことなんですよ。

 

 

千差万別の人間において共通している唯一のものが

「死ぬ」ということであって、その死を理解して

今いる1日を摘める(楽しめる・有意義に過ごす)かどうかが

非常に重要なことなのですよと、memento mori

言っているわけである。

 

この言葉が古代ローマ時代から現代まで

しかもこんな極東の島国にまで広まっているのは

やっぱり宗教観・死生観が薄いとはいえ

重要な言葉だからなのだと思う。

 

キリスト教においてはまたちょっと違う

意味が含まれているんだけど、

エクストリームな解説なので割愛する。

 

何しろここでは聞いたことがあるであろう

メメントモリ」よりも

カルペディエム」の方をしっかり刻んでほしい。胸に。

 

さてどうだろう。今日は金曜日。

日本人が一番酒を飲む曜日である。

乾杯に前に一度唱えてみよう。「カルペディエム」と。

 

するとホラティウスの詩が聞こえて来る。

「Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.

(今は飲むときだ、今は気ままに踊るときだ)

 

刹那的・快楽主義という言われもあるかもしれないけれど、

人生は1日の積み重ねでしかないのだから、

今日できること今日しかできないことは

やっぱり今・今日の内に摘んでいくべきなのである。

 

生きててよくあるセリフ。「今度飲もうよ」

いや今飲もうよ。メメントモリだぜ。

 

 

 

もっとこの言葉を肌に染み込ませるために

詩とラップを少し紹介する。

 

まずはラップ。

言わずと知れた伝説の3人組PSGの

名曲「いいんじゃない」のs.l.a.c.kのバースはメメントモリ

しっかり汲み取って楽観的かつクールに歌っている。

最後が特にいい。

 

明日の命はあるようで無いよ
いつ死んでも後悔はないと言えたなら 

 

「あるようでないよ」のところはもう

「あるyo-でないyo」ってなもんで、

スラック独特の気怠いトーンで歌っている。

でもやっぱりこの最後の「いつ死んでも後悔はないと言えたなら」で完全に詩の全体を引き締めにかかっている。上手い。超上手い。

 

 

 

 

次に、井伏鱒二の「勧酒」という詩がある。

井伏鱒二が書いたわけではなく、

井伏鱒二が昔の漢詩を妙訳したことで超有名。

 

ogikubo-bunshi.a.la9.jp

 

「サヨナラだけが人生だ」というのも

memento moriと似たイメージを孕んでいる。

 

サヨナラだけが人生だの前に

私の杯を受けてください。たくさん注がせてください。

という旨の内容がある。

全文(と言っても4行だけど)読めば

これも花の咲く木の下で飲む人々の情景がありありと浮かぶ。

 

やはりこの「サヨナラだけが人生だ」というのが、

諦めているような寂しさと、その瞬間の煌めきに懸ける想いとの

美しい二面性を持っている。これがたまらない。

 

 

 

この2つの詩をもって、より一層memento mori

深めることができるよね?わかった?????

死に対する諦めや絶望ではなく、生への儚さを慈しむ言葉。

それがmemento mori/carpe diemなわけですよ分かった????

 

つまりね、いつか会おうとか

いつかやろうとかってあんま意味ないんだよ。

この「いつか」ってのはmemento mori的にナンセンスで

「今やるかやらないか」でしかないんだよ。

 

 

また今度飲もう!😅じゃねぇんだよ

都合つけろこのやろう!!!

 

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次回はKing Gnuの「Teenager Forever」を絡めて

レビューや考察とは違った遠いどこかへ向かうような

ブログを書こうと思っている。

 

そう言って全然サッチモスとか書いちゃうかもしれない。

ブログと言う名のインプロビゼーションな旅は続く。